こんにちは、鈴木です。
千葉ではまだまだ停電が続いています。27日まで復旧しないとニュースで見ましたが、お疲れもピークが来ていると思います。
私には何もできないですが、一日も早くいつもの環境に戻られることができますように。
失敗は自分のものに
私がやらかした失敗
失敗は成長のよい機会だと言われます。でも、好きこのんで【失敗】をしようなんて思いませんよね。
私がこの仕事を始めて3年めの頃だったでしょうか。ある業界団体の全国大会が名古屋で行われるとのこと、その大会での講演に呼ばれたことがあります。
内容は【色の使い方】についてだったと記憶しています。
飲料業界の小売店の方々も(たしか、、、)多くいらっしゃるとのことだったので、ディスプレイやポップに役立つようにと専門的に色の選び方や色の見え方を話そうと考えました。
その事を仲介してくださった広告代理店の方に話すと「いいんじゃないですか?」とお返事がありました。
スライドも準備しましたし、念入りに内容も確認しリハーサルもして、当日に臨みました。
がっ!話しをしだして少し経つと、あちこちで居眠りが始まって、「つまんなーい」という空気感がひしひしと伝わってきました。
会場は200人超えです。私は「うん?この空気、まずいよね。。。」と感じつつも、代理店の方と
おおむねの内容は話しているし、「専門的な内容でOK」と確認をとっていたので
そのまま続けました。
ても空気感は変わらず、居眠りの方の数は増える一方です。。
結局、専門的な内容はすべて途中でやめました。
そして、生活に溶け込んでいる色、とくに会場に多くいらしたゴルフが好きであろうと思われる方に
合わせて、グリーン上にはためくピンの位置を示す旗の色などの話をしました。
結果、講演会のあとにその組合の会長の挨拶で「ゴルフの色の話は面白かったので、最初からね〜・・・」と言われてしまいました。
この日は凹みましたね。大きな仕事につながるかもと思っていたので、なんて失敗を
してしまったのかと落ち込みました。
準備万端にして臨んだのに、本番になってみたら全く状況がちがう。
これって何が原因?
「凹むこと」と「原因究明」
さんざん落ち込んだあと、あれだけ準備をしたのに何が原因だったのかを考えるようになりました。
この場合、担当者と依頼者と私との連絡がとれていなかった⇒依頼者の本当の意図を
理解、また汲み取ることできなかった=顧客満足につながらなかったということが
浮き彫りでした。
こんなこと、基本中の基本。そんなことが私はできていなかったんですね。
それからは、ちゃんと依頼してくださる方と直接お話して、何を希望されているのか
ヒアリングをしてから(他人任せにせず)、大まかな流れを作成して再度の確認をとり
本番に臨むようにしています。
ただ残念ながら、この組合の仕事をいらししてくださった会社からは二度とお話しはございません。
失敗は成長の種
このように、二度とその会社から仕事の依頼はないですが、私の中では
この失敗があったからこそ、「顧客は何を期待して依頼してくださっているのか」を
しつこいくらいに考えるようになりました。
この失敗がなかったら、「顧客は何を求めているか」をこれほど考えることは
しなかったかもしれません。
心理学からみても、どんな失敗も同じです。
必ず「失敗は成長の種」です。
してしまったことを考えるより、原因を追求することに意識をシフトすれば
「成長しているんだ!」と思えるはず。
失敗しなければ、その成長もなく、成功もないわけなんですね。
だから失敗した自分も受け入れないと損というわけです!
失敗しない人は?
「わたし、失敗しないので!」という方は、成長しないの?ということに
なってしまうわけですが、こう考えることはできませんか?
「失敗しない」=「余裕がある」=「余裕を新しい挑戦に向けたら?」ということ。
ならば、失敗をおそれずに「新しいことに挑戦!」です。
「私、失敗しないので!」というセリフで有名な米倉涼子主演の【Doctor X】が
この秋からかえってきます。
他人と自分を比べない
「隣の芝生は青く見える」という言葉とおり、人のことはとても素晴らしく見えます。
その芝生にいるのは誰ですか?
そこにいるのは隣の人であって、あなたですよね?
もしその芝生にあなたが行くことができて、さっきまで「いいな〜」とうらやましく思っていた
隣の人の位置にたち同じ景色を見た場合、青く見えるでしょうか ?
きっと、いや、絶対に違うと思います。
だって、隣の人と自分とではすべてが違うんですもの。
違うもの同士を比べることって、意味ないです。
和食、フレンチ、イタリアンで比べることできないし、
ラーメンとお寿司を比べることもできない。
「あそこのラーメンとこっちのラーメンはどちらが美味しい?」とは言うけど、
「あそこのラーメンとこっちのお寿司とはどちらが美味しい?」とは言えないですもん。
客観視できないという罠
人間は他人を判断するとき、客観的に見ることができます。
逆に自分を判断するときは、客観的に見ることができなくなります。
他人のことはそのままの評価ができるのに、自分の評価はマイナスの評価になって
自分を責めてしまうようです。
これでは人と比較をしてもまったく意味がないということ、これが結論ですね!
唯一、比較していいもの
他人と比較しても意味がまったくないのに対し、これは比較しなきゃというものが
唯一存在します。
それは「過去の自分」
お寿司はお寿司と比較ってことです。
現在の自分と過去の自分、何がどう違うのか。
現在の自分に至るまで、過去から何をしてきたのか。
ポイントはここですよね、「何をしてきたのか、何が起こったのか」
この記事の冒頭部分のように「失敗は成長の種」です。
失敗しながら、過去から現在まで生きてきたわけで、、、ということはかならず成長していると
思いませんか?
たとえば、私の場合。
以前のブログにもマインドフルネス(瞑想)のことを書いていますが、今の時点で4,430分続けています。
これだけの時間をマインドフルネスに費やしているわけですから、
「マインドフルネスをやっていない私」とは絶対にちがうはず!
心が折れそうになっても、「前の自分とは違う」と言い聞かせたりします。
何かを習慣化して、それをデータに残しておくと比較しやすいですね。
この比較方法はおすすめです。数字にしておけば、わかりやすいです。
まとめ
【自己を受け入れる②】はいかがだったでしょうか?
引き続き【自己を受け入れる③】につなげていきたいと思います。
・・・私もなかなか「自己を受け入れること」ができないので、
このようにあらためて言葉にしながら、あなたと同じように前にすすみたいと思っています。
株式会社ウイッシュ
鈴木 結美子